デザイナーの佐野研二郎氏が頻繁に登場した一週間。
STAP細胞のニュースを思い出させるような登場回数だったように思えます。
そもそも何がどう問題でなどとコメンテーターがいろいろコメントしていますが、
僕が感じたのは、デザインは難しいということです。
デザインという言葉は、広くは立案設計することを意味し、
図案や模様を考案する事、建築や服飾の分野で造形を意匠する事としてとらえています。
意匠などと言われるよりデザインという言葉の方がなんとなくピンとくる一方で、
曖昧に理解しているだけで、本当の意味が実にわかりにくい言葉でもあります。
ファッションショーの最後に、モデルに囲まれて登場する小さなおじさんを
一般的なデザイナー像として解釈していたのは僕だけでしょうか。
そもそもデザインという概念は「カッコイイ」ものであってほしいと思います。
わざわざ図案や模様を考案するのですから、そのものの本質を際立たせるような、
そのものに万人を振り向かせるような、そのような「カッコイイ」ものが、
デザインという概念であってほしいのです。
ブランドロゴにしても、建築物や服飾にしても、時代の変遷による変化はあっても、
なんとなくカッコイイ、カッコよさを象徴するものであるべきではないでしょうか。
残念ながら、今回の佐野氏のデザインは、「カッコワルイ」。
ただ、東京オリンピックのカッコ悪さを表現したという意味では、
秀逸だったのではないでしょうか。
新国立競技場の問題などは氷山の一角にすぎないと言わんばかりの大会エンブレムは、
その組織の不透明さや不誠実さを露呈した
まさに本質そのものを象徴したデザインだったと思われるのです。
佐野氏は、僕と同い年で、博報堂での勤務を経て、2008年に独立されています。
クリエイティブの仕事とはいえ、サラリーマンを経験して独立しているという点でも
共通する部分を感じ、彼の気持ちに同調する部分もあります。
携帯電話キャリアーのauのLISMO!でブレイクして、
独立したあとは、事務所の拡大、人員増加、運営管理、受注拡大と、
デザイン以外の部分での仕事が増えたのではないかと容易に想像がつきます。
質的なものより量的に偏重していった仕事は、
本来的価値である創造などの概念とは反比例して成長をとげたのではないでしょうか。
そもそもクリエイティブな仕事は、量を求められても限界があるはずです。
拡大というベクトルが、デザイン本来の価値にそぐわないのです。
でもこれは何もクリエイティブな仕事に限って言えることではないでしょう。
何事においても拡大という概念が、正しい成長を妨げることはあるように思えます。
大きいことだけが正義ではないですし、早いことだけが正義ではありません。
成長や処理という意味で、人ひとりの力には限界があるということです。
カッコワルイオリンピック問題は、
大資本が経済界を支配する時代、売上偏重主義の時代に、
一石投じる問題だったのではないかと、僕は思います。
コピペの連続で成り立つようなビジネスだけではないということです。
佐野氏が復活し、その社名の通り、「MR. DESIGN」になって、
カッコワルイオリンピックを笑って振り返れる日を心待ちにしております。
そのような彼からデザインの意味を教わりたいものです。